老馬道を知る

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日本代表の立ち位置

日本のワールドカップは、あっけなく幕を下ろした。

ギリシャ戦までまったく見せ場なく来てしまい、最終戦で逆転での決勝トーナメント進出を夢見ていたが、やはり奇跡は起こらなかった。

けれども、その内容は、この大会の中では一番納得のいくものであった。前半、不用意なPKがなければ、押していたのはむしろ日本だった。特に、前半最後の10分くらいは完全に日本ペースになり、その中でのゴール。いい形で前半を終えられた。けれども、良くなかったのは後半の入り方だ。前半最後の内容が完全にリセットされてしまっていた。ハメス・ロドリゲスが入ってきたこととは別に、日本は入り方が悪かった。

そこからは終始相手ペース。日本は点を取ろうと前掛りになったところをカウンターで突かれ、立て続けに点を失った。

終わってみれば1―4。日本代表選手はよく戦ったと思うし、ザッケローニの采配に周りが口を挟む余地はない。そして、スコアの差にはあまり意味はなく、なぜそうなったかの過程に意味がある。

いろんなことを言われているが、やはり個人の力の差が大きい。連携に関しては、いままでの2年間で見せてきた細かなパスワークがある程度有効だとわかっている。けれども、最終的にゴールを決めるためには、個人のテクニックが決定的に欠けている。

日本チームはよく「走力」があり、「規律」を守り、足元の「技術」がある、と言われる。けれども、足元の「技術」とは何なのだろうか?ワールドカップの本番で出すことができなくて、どこが「技術」なのだろう?日本は、相手のゴール前になると焦って、みんなでボールを時限爆弾のように回す。「危ない」「早くしないと」と。けれども、例えばコロンビアの3点目や4点目は、コロンビアはゴール前で余裕があった。ゴールを決めることを楽しんでいた。日本の「危ないから早くシュートしないと!」という圧迫感は、ない。

球際の強さもそうだ。コートジボワール戦では、ヤヤ・トゥーレやドログバが、どんなにマークされチャージされてもボールを失わなかった。日本は、コロンビア戦の失点のうち2点は、本田のミスから始まっている。簡単にボールを失って、カウンターを受けた結果だ。チームの大黒柱がそれでは、勝てるわけがない。単なる足元の技術ではなく、対人での技術、試合の中での技術は、日本人は決して高いとは言えない。

オランダは、大逆転でベスト8に駒を進めた。0-1の後半に、誰よりもチャレンジしていたのは右ウイングのロッペンだったが、彼は常に2~3人(多い時は4人!)のDFに果敢にドリブルを仕掛け、チャンスを演出していた。

1対1で勝負を仕掛けない日本人、1対3で勝負を仕掛けるオランダ人。

上に挙げたのはほんの一例に過ぎないが、他にも試合の随所で「技術」の差を感じる。1つ1つは小さなプレーかもしれないが、それを無視して、いきなり「パスだ」「コンビネーションだ」と言っても始まらない。挙げ句の果てには「メンタルが原因だ」となる。

確かに日本サッカーは、惜しいところまできている。直前の強化試合で勝っているコスタリカがベスト8に進んでいるのだから、それは間違いない。コスタリカは運が良かったのかもしれない。けれども、勝つか負けるかをすべて運に任せて、今回は運がなかった、と敗退してしまうのはもったいない。今の段階からさらに1レベル上がって、列強と肩を並べる可能性があると思うのだ。そのために、今回で感じた世界との差を、組織レベルだけでなく、個人のレベルで改善できるように、考えていきたい。

ザックの次はアギーレ氏が有力だという。メキシコサッカーも、今大会は素晴らしかった。日本が学ぶところは多い。けれども、メキシコは優れた個人技術を持った選手の集まりだ。また華麗なパスワークの形だけを真似するのではなく、個人の技術力も上げられるようなチーム作りをしていってほしい。そして、育成年代から、同じビジョンを持って選手を育てるような環境作りを目指して欲しい。日本サッカーが根本的に変わるには、それしか方法がないのだから。

決戦前夜に考えたこと

明日の朝、最後のコロンビア戦を戦うことになる日本代表だが、ここまでの戦績は、事前の予想を裏切る結果となっている。けれども、今回は本当に「期待はずれ」なのだろうか。

ワールドカップが開幕する前は、事前のメディアの煽りもあり、日本全体がどこか楽観的な空気に包まれていた。今回はまず決勝トーナメントには行けるだろう、この4年間で日本は劇的に進歩した、世界で活躍するプレーヤーが11人中○○人もいるから大丈夫だ・・・しかし現実はそう甘くない。

考えてみると、ワールドカップのグループリーグを突破する、ということは、世界のトップ16に入る、ということだ。200カ国の中の、16位だ。スペインやイングランドが敗退するような高い壁を前に、楽観できる余地などないはずだった。

かくしてワールドカップは始まった。日本代表は、初戦のコートジボワール戦に負け、2戦目のギリシャ戦に引き分けた。もっといい戦いができるはずだった。コートジボワール相手には、自分たちのプレーができなかった。暑さに負け、相手に合わせてしまい、守備に走ることになり、攻撃サッカーができなかった。ギリシャとの戦いでは、ボールは保持するものの、守りを固めた相手に攻めきれず、決定機はことごとく外した。ザッケローニの采配が一貫せず、選手が力を発揮しきれていない。戦術がブレている。

メディアはそんな風に書き立てる。

しかし、本当にそれだけが原因だろうか?

特にコートジボワールとの戦いで感じたが、日本がボールを持てなかったのは、戦術以前に、「個人」の力が圧倒的に違うことが原因だ。ヤヤ・トゥーレやジェルビーニョ、ドログバ相手に、1対1で戦える選手がいただろうか。「2人、3人で奪えばいい」けれども、そうしたことが原因で、ドログバに気を取られた一瞬で、2点を取られてしまった。結局、1人1人が対等に戦えるようにならないと、無理なのだ。ボールを持てない、ボールを運べない、1対1で勝負できない、ボールを奪えない。これでは、いくら「組織で戦う」と言っても限界がある。1対1の場面で、勝負せずに横パスに逃げてしまうのは、自信がないからだ。世界のプレーヤーは、取られてもいいからチャレンジをする。日本は、取られないように逃げのパスをする。こうして、4年間が過ぎ、南アフリカ大会から、世界との距離は縮まらないまま、終わってしまった。

日本のメディアは、その一番根本的な原因に目を向けず、ザッケローニの采配を否定したり、日本のメンタルを批判したりしている。けれども、そんなことでは世界との差は縮まらない。今こそ、本田が話していた「個」のレベルを本当の意味で上げ、世界と対等に戦えるプレーヤーが出てくる必要がある。そういった選手を育てられなければ、日本サッカーはいつまでたっても欧州・南米のレベルには届かない。

今回のワールドカップが終わったあと、日本代表の選手たちは何を話してくれるのだろうか。落ち着いて分析できるようになったときに、ぜひ「個人」の力の差の話をしてほしい。

とはいえ、明日、何かの奇跡でコロンビアを破ることがあるかもしれない。サッカーに絶対はない。そんな期待をしつつ、しかしやはり内容の伴った試合をして欲しいと思う。